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三輪在住の森下幸子さん

2022年1月8日(土)

グルメ暮らし

山里の暮らし今昔。林業の盛衰と東栄町の暮らし移り変わり

戦後、日本では住宅の建設が進み、その資材を支えるため林業が繁栄。東栄町でもスギやヒノキなどが伐り出され、それ以上の植林が盛んに行われていきました。しかし1960年代後半ごろから状況は一変し、国内の林業は衰退の一途を辿りはじめます。林業の盛衰に翻弄される運命となった山のまち、東栄町。時代背景と合わせ、その暮らしの移り変わりはどのようなものだったのでしょう。東栄町で長年林業に深く関わってきたまちの女性にお話を伺いました。

今のお年寄りが子どもだったころの東栄町の暮らし

今回、お話を伺ったのは森下幸子さん(81歳)。お祖父様が林業会社を経営され、長く林業と関わっていたことから、後に、森下さんも東栄町森林組合の理事をはじめ、全国の女性林研グループの役員など重要な役割をいくつも務められました。年に数回東京へも赴いて林業に関する意見も交わし、多くの経験や見識を積まれました。 
子ども時代の森下さんは学校から帰るとすぐ山に入り、薪に火をつける杉の葉を集め、薪風呂の水を汲み、ヤギにエサをやり、家の手伝いに明け暮れました。家の手伝いに熱心で、中学生の時には表彰され、知事賞を貰ったそうです。

畑の農作物の栽培や収穫に明け暮れた山里の暮らし

東栄町が東栄町として制定される前の時代、畑では、あわ、きび、ひえ、もろこし、大麦・小麦などの穀物や大豆が栽培されていました。山に広葉樹が生えていた時代は野生動物たちの食べるものが山中にあったため、いのししや猿は里まで滅多に降りてくることもなく、獣害はありませんでした。
養蚕も盛んで、町には桑畑が広がっていました。山には炭焼き小屋があり、炭を焼いて生計を立てている人々がいました。桶屋もあり、道具類は地元で作られていました。学校や病院も地域の皆で協力し、力を合わせてまちを作っていったそうです。当時は子ども達も大勢いて、近所から7、8人の子どもたちと一緒に学校に通っていました。
スギとヒノキの植林が盛んになるにつれ、山の景色はみるみる変わっていったと言います。

自分の山から伐り出した材だけで家を建てる

東栄町が発足した昭和30年、まちの人口は1万4000人を超えていました。このころ林業は大変に栄え、植林も進み、林業はまちに豊かさと活気をもたらしました。

家の周辺には春は桜が美しい

森下さんの家は70年ほど前に森下さんのお祖父様が建てました。大きな民家は所有する山から伐り出した材だけで建てられています。お祖父様は地域の人々に満遍なく仕事が行き渡るよう、三輪区中の全部の大工さんに仕事を依頼。家を建てている間は、日に60人ほどの人が絶え間なく出入りしていたそうです。釘は使わず、立派な材を嵌め込んで建てられている家屋は、今も重厚な趣を醸し出しています。

女性の役割りと地位

郷土の味を提供する千代姫荘

当時は料理は女性の仕事。味噌や醤油も各家庭で仕込んでいました。「生活改善グループ」という団体があり、女性たちに野菜の栽培教育を行い、料理のコンクールを実施していました。里芋、切り干し大根、わらびやこんにゃくといった素材を使った郷の味は、月地区の花祭のせんじ(台所)の献立も加わって、森下さんも関わっている「千代姫荘」が提供する東栄町の郷土料理の根っことなっています。
また、着る物も自分たちで手仕事で作っていたため、女性たちは夜は眠気と戦いながら針仕事で一日を終わらせていました。女性は勉強や読書をさせてもらえず、森下さんは薪を燃やす前の新聞を読んで活字の情報を得ていたそうです。

桑畑は役目を終え、
まちには茶畑が広がり始める

スギの値段が下がってきた昭和40年ごろ、まちではお茶の栽培が始まります。この頃やはり養蚕の生産量も落ちていたことから、蚕を飼う家が減り始め、桑畑は茶畑へと姿を変えていきます。東栄町は朝晩の気温差と山の斜面が茶栽培に向き、苦味が持ち味だった東栄のお茶は、当時はお隣の静岡県に出荷され、ブレンド用に重宝されたそうです。お茶摘みの時期になると地域の人々総出でお茶摘みをし、夜遅くまで袋詰めや運搬の仕事に追われました。

山の本来の姿を考えて。自宅の山の一部を広葉樹に植え替え

長年林業に関わり、山を見守ってきた幸子さんは25年前、森林教育活動を行なっている豊橋の「穂の国森づくりの会」とともに、日照不足を理由に家の前の山70アールの面積に渡ってスギ・ヒノキ1000本分を伐採。生態系や山の本来の姿を少しずつ取り戻そうという、水源林という考えの元での活動でした。(森下さんの家の前を流れる小川は天竜川系水源。)伐採した場所には、かえで、くるみ、山桜、山栗などの広葉樹16種類1400本を植えました。町内では植林したものの時代が変わって売れなくなったスギが背高く育ち、かつてはが良く当たり気持ちよく暮らしていた民家の日当たりを遮ってしまうという問題も生じています。森下さんの行動は、住民を悩ませているその悲しい現状に一石を投じる意味もありました。

山里暮らしの今後を想う。草木染めや間伐材の活用なども

森下さんはまた、自然に寄り添った暮らしの活動として、20年前に町内に草木染めクラブを発足し、現在も精力的に活動を行なっています。四季折々の自然の草木を採取し、煮出し、自然からいただくさまざまな色に染め上げたストールや暖簾などは、とうえい温泉などで買うことができます。また森林組合理事を終えた後も、間伐材を活用した「木の駅」プロジェクトの会長を務められました。
林業に絡んだ山間のまちの盛衰を体験し、都会の人々とも積極的に交流を持って活動してきた森下さん。現在、過疎が進む東栄町を憂い、「活気と勢いのあった時代に、まちから若者がどんどん都会に出ていってしまった。本当はまちで育った人たちが少しずつでも戻ってきてくれたら良いのだけれどね」と振り返ります。

  • ご自分で染めたストールをさりげなく

    ご自分で染めたストールをさりげなく

  • 草木染めクラブの活動風景

    草木染めクラブの活動風景

  • 東栄駅のちゃちゃカフェさんにて

    東栄駅のちゃちゃカフェさんにて

「何でも元気がなくちゃね」と終始、朗らかな笑い声をまじえお話しされる森下さん。お話を聞いて、今の東栄町が多くの人々の知恵と無償の努力の上に成り立っていることを身に染みて感じました。それだから、人々の温かさに包まれ、良さがたくさん詰まった今日の東栄町があるのですね。私たちの時代もこの良さを守り、大事にまちを育て、先へとつないでいきたいと思いました。
貴重なお話をありがとうございました。

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